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牧師だより ─ No. 303(『反戦情報』より)

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更新日:3月1日

山口県教委曰く「靖国神社や護国神社への訪問は平和教育の『きっかけ』になる」

小畑太作(日本基督教団西中国教区靖国天皇制問題特別委員会委員)


●山口県副教育長の発言

 2024年6月、山口県議会定例会において県副教育長が次のように答弁した。「教育活動の一環として、児童生徒が、歴史や文化を学ぶことを目的として、神社等の宗教的施設を訪問してもよいとの見解を国は示しており、本県においても、総合的な学習の時間等を活用し、地元の護国神社等を訪れて、創建の由来や歴史を学び、平和についての理解を深めている学校があるところです。県教委といたしましては、引き続き市町教委と連携し、様々な施設等も活用しながら、各学校における平和に関する教育を推進してまいります。」

 その後、ある県議会議員の調べで県内公立小学校二校が、それぞれ防府護国神社と桜山招魂社を学びの場としていることが分かった。他方、今のところ山口県以外ではこの「国の見解」に基づいて訪問を実施している学校についての情報はない。

 副教育長の答弁以上に驚いたのは、「国の見解」である。調べてみると2008年のこと。多分、当時報じたマスコミはないのではないか。そして今、この県副教育長の発言について報じたマスコミは一社もないし取り組みも、わたしが所属する日本基督教団西中国教区以外にはない。


●護国神社とは何か

 護国神社とは一言でいえば靖国神社の地方版である。いずれも元は招魂社であり、護国神社が祭神としている大部分は靖国神社の祭神と同じであり機能も同じである。すなわち戦死者を生じた戦争を正当化し、戦死者を「英霊」「神霊」と化し、遺族等を理解者と化し、更に人々を戦争へと唆す装置であり、その機軸は天皇崇敬体制である。中央の招魂社と地方の招魂社、すなわち後の靖国神社と護国神社による天皇崇敬体制のための関係構築は1874年。戦争の激化と戦死者の増大に伴い、1879年に東京招魂社は靖国神社に改編、日中戦争勃発により1939年に地方の招魂社は護国神社に改編、これらによって人民の内心操作が強化された。

 敗戦後は、いずれも宗教法人となり、その信教と思想は戦中のまま、自由の名の下に継続した。そして今も、軍国主義・天皇崇敬体制を人々に浸透させようとしている。そのことは靖国神社への改編と共に同境内地内に建設された戦争博物館である遊就館が今も「雄弁」に物語っている。

〜〜〜次号に続く

 
 
 

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