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牧師だより ─ No. 282

 7/15(月) 山陰西分区の研修会に呼ばれて赴いた。主題は「これからの教会を考える」。前段で、各教会の状況報告を受け、後段で小一時間ほど話をした。

 事前に、研修会の詳しい内容や目的などは、良くも悪くも、ほとんど「内輪」であるわたしには伝えられることはなかったが──わたし自身も求めることもしなかったのだが──、各教会の報告を聞いたところ、主題の意味は推察したとおりであったことが分かった。要するに、教勢が下がり続ける中で、これから、わたしは、あるいは、わたしたちはどうしたらよいのかということである。

 わたしは、あるいは、わたしたちは自分の教会をどうしたらよいのかという動機には、確かに責任的な響きが伺われ、神への思いも感じられ、従って尊敬も覚えるのではあるが、埋没してはいけない、と言うことを申し上げた。

 ある意味、「内輪」がそう思うのは当たり前なのだ。目を上げてみてみれば、周りの人はどう思っているのかを考えて見て欲しい。教会が果たしてどうなってしまうのかを心配している人がどれくらいいるだろうか。もしも人々が気にも留めていないのだとしたら、どうしてなのか。それらの人々が、心を奪われてしまっていることは何であるのか。不安で眠りさえ妨げる問題を抱えてはいないのか。その人が必要としている助け人がいるのか。教会がその助け人になれることを知っているのか。成れることを知るような働きをしてこなかった、そして今もしていないのではないのか。今、本当に考えるべきことは、得ることではなく、与えることではないのか。等々、少々手厳しいことを語ったのだが、それ程的外れではないと自負している。何故ならば、イエス・キリストは、人集めとは無縁だったのだから。


「イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。」マルコ2:1-2

 
 
 

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