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牧師だより ─ No. 288

 9/4㊌ 教区新任教師オリエンテーションのため、新幹線で広島に出かけた。コロナの影響で、この度も短めのプログラム。15時に終えて広島駅に向かうと、都合のよい新幹線がない。パソコンも持参していたし、時間も早いので、在来線で帰路についた。

 久しぶりの山陽本線ではあったが、乗客は相変わらず奇妙な座り方をしていた。奇妙というのは、優先席は空いているが乗客は立っているのである。優先席を必要とする人が座りやすいようにということなのかもしれないが、関わること、考えることを放棄しているようにも見える。片や優先席以外では一人で二席を使用する乗客も少なくない。そこでは周囲への配慮は不要ということだろうか。

 9/5㊍ 緑橋市民講座のチラシ100枚余を近隣に配った。久しぶりのポスティングである。マンションの多くが「ポスティング不可」を掲示していた。結果、資金力のある情報のみに接することになってしまうとは考えないのであろう。

 9/6㊎ 修理を終えた愛車を受け取りに小倉の業者に行った。二年ぶりである。久しぶりに乗ったFIAT500Fは治ったとはいえ、エアコンはないし、エンジン音はうるさいし、サスペンションはガタガタだし、相変わらず快適とは無縁であった。地球温暖化に加担していると思われるかもしれないが、実は必ずしもそうでもない。約60年前からリッター20㎞であることもさることながら、修理し動き続けていること自体、かなりのエネルギー削減になっているのである。

 そしてその足で、在日大韓基督教会下関教会を会場に開催される、同教会と山口西分区の交流集会に赴いた。久しぶりに教会というものを感じた気がした。

 一つには、歌うことにおいてである。記憶の教会は、いつも歌っていた。合わせがたい伴奏であったり、合奏・合唱であったりするのだが、それでもしばしば一緒に歌っていた。むしろそのぎこちないところで、教会らしいと感じたのだと思う。

 そしていま一つには、「越えること」においてである。各個教会を越えて、そしてこの度は教団、民族、文化、言語等々を越えた。

 本来教会とはそういう場なのだと思うし、そう在るよう努めたいと思う。


「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。」エフェソ4:16

 
 
 

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