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牧師だより ─ No. 293

 秋祭りの頃となった。政教分離違反の季節でもある。

 山口県知事から、防府天満宮御神幸祭(裸坊祭)への協力に関する二度目の質問書に対する回答書が送られてきた。“同祭への参加は、地域の文化的行事で、県内の地域振興だから、政教分離違反ではない”という。質問は教区靖国天皇制問題特別委員会からで、“同祭は防府天満宮が主催する宗教行事と考えるが、知事はどう考えるか”であった。

 わたしから見れば──と言ってもちゃんとは見たことがないが──裸坊祭(はだかぼうまつり)とも言われるとおり、同祭は暴力的とは思えても、文化的とは思えないのだが、それはさておいて、政教分離において、違反の疑いを掛けられると行政は、常に宗教を「文化的」「社会的」「世俗的」「習俗」「伝統」等と言い換えて取り繕おうとするのであり、ここでもその言い換えで正当化を図っているということである。そしてそれで押し通そうとするのは、実はこの言い換えは、司法においてさえもまかり通っているからである。例えば昨年度の、主基田違憲訴訟(天皇代替わり時に京都府知事が主基田抜穂の儀に公務として出席したことの政教分離違反を問うている住民訴訟で現在控訴中)の京都地裁判決は、知事の行為は“宗教的行為であるが社会的儀礼”と言ってのけているのである。

 しかし、わたしたちは、ここにある目的の履き違えに気付いておきたい。「文化的」とか「社会的」とか言う、あるいはそう言える、その背後にあるものは常に多数派であるということである。しかし、政教分離原則が目的としているのは、少数者の権利の保障である。それは究極的には個人の権利である。従って、多数派の物差しで政教分離違反の有無を判断すること自体、目的の履き違えと言うべきである。そしてこの事を明らかにしようとしているのが、実は現在取り組んでいる山口県知事公務参拝違憲訴訟である。

 裸坊祭についても引き続き、取り組んでいく予定であるが、行政レベルでは恐らくは平行線を辿ることになる。何故ならば、行政の長である内閣総理大臣が──この度は受洗の有無で言えばキリスト者が──靖国神社の秋の例大祭に真榊を奉納しているのであるから。

 多分、クリスマスという祭も、目的の履き違えがあるということなのだろう//


「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」マタイ25:40

 
 
 

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