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牧師だより ─ No. 295

 10月29日(火)〜10月31日(木) 第43回日本基督教団総会が東京の池袋で開催された。結論から記すと、想定していたとおり殆ど進歩はなかった。しかし、「殆ど」なのであって、僅かではあるが進歩したのだと思う。

 しかし「殆ど」の人は、総会が現した嘆かわしい「殆ど」の部分に目を奪われてしまう。確かに、沖縄教区との関係は回復できないままだし、北村慈郎教師への人権侵害も為されたままだし、従って、教団は分断したままだし、あたかもそうした現実を塗りつぶそうとするかのような「教団の一体性を確認する」などと言う、まるで大日本帝国憲法発布時の帝国政府の基軸づくりのような議案は可決されるし、その嘆かわしい事実を上げればいくらもあるのだが、それでもそこにイエスがいたのである。

 そもそも、そうした有り様に表れている問題の根本にあるのは、何度も言うが──もっとも今現在わたしが獲得している言葉という限定付であるが──事大主義なのである。事大主義とは、辞書に依れば「勢力の強い者に追随して自己保身を図る態度・傾向」とあるが、当然それだけには留まらない。すなわち、自らも強い者、大きな者に成ろうとするのであって、益々衰退する教団のみならず、キリスト教界のみならず、宗教界の現状の中で、事大主義から生じる欲求は更に高まり、事大主義的傾向の比較的小さい人々との乖離が生じ、より軋轢は高まりかねないという次第。実際、免職問題も合同のとらえなおしの放棄問題も、そこから生じているのである。

 とは言え、傾向が比較的小さい人々も、人であるからにはそうした傾向と無縁ではあり得ない。そしてそれは、問題解決へのアプローチの仕方にも現れる。あるいはまた、自分たちが──わたしもであるが──爪弾きにされている有り様に対して、嘆いたり、怒ったり、悲しんだりしているわけであるが、そもそもそこで見ているのは「殆ど」の部分でしかないということに気付かなくてはならないのだと思う。神の創造は、死をも越えて歴史を導くのである//


「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。」2コリント4:8-9

 
 
 

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