牧師だより ─ No. 297
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- 1月12日
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1月10日(金) 11月から頼まれていた安倍元首相の国葬・県民葬違憲訴訟に際して、それが憲法20条(信教の自由の保障)と19条(思想・良心の自由の保障)に違反することを論証する意見書を仕上げた。どの程度裁判所に通じるのか分からない、というより、殆ど通じないと思われるが、将来を見据えて、言葉にしておくことは必要だという意見が、前回の11月の裁判後の報告集会で出され、代理人弁護士をはじめ賛同があり、具体的にどうするかという段で、わたしが書くこととなった次第。一応念のため記すが、自分から申し出たのでは決してない。というのは、きっかけは、その裁判で提出した行政法学者の大田直史(龍谷大学)の意見書の次の記述。「国葬儀の実施は、憲法第20条第3項(国による宗教活動の禁止)に違反する疑いがある。この点については、今回は殆ど議論されていないが、今後、国葬儀がまた実施される場合には、この点の議論は避けられないと思う。」わたしからすれば、「また実施される」とはどういうことだ、と。思うだけでなく論証してくれ、と。それが仕事だろ、と。思ったからである。
が、結局、折れて引き受けた。
次のような論立てにした。
1)個人の尊重(憲法第13条)、及び個人の内心の自由(第20条、第19条)を保障する憲法と、すべての人を強制的に巻き込む国葬・県民葬はそもそも相容れない。だから憲法には想定されていない。
2)具体的にそれは、故人に対する評価と、葬儀という儀礼が表す世界観・歴史観の押しつけとなる。反対者の多くは前者に反応したが、政教分離原則には後者が違反する。
3)何故ならば、国葬・県民葬で表されたのは、天皇崇敬体制──その内実は天皇教と言うべき宗教──という世界観・歴史観であり、まさに政教分離原則が再生防止を企図したそのものであり、憲法1条にも違反する。
4)政府と知事の無宗教で行ったとの主張は、かつての神社非宗教論と酷似して、実際は天皇教を宗教ではないと断じ人々に天皇教を押しつけた。よって、国葬・県民葬は、憲法20条、及び19条(信教の自認がない場合)に違反する行為であった。
A4で17頁です。読みたい方は、わたしまで//
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