top of page
info187469

牧師だより ─ 其の百九 ─

 9月6日㊌ 会員の葬儀告別式、火葬、拾骨を終えて、新幹線で広島へ。毎年恒例の教区新任教師オリエンテーションである。

 新任と言っても、西中国教区における新任であり、教師としての経験は別である。 その内容は、概して二つ。一つは、西中国教区の仕組みについて。当教区のみならず、各教区において新任教師オリエンテーションが実施されている目的と意義の多くはここにある。つまりそれだけ、教区ごとの仕組みには違いがあるわけである。

 これは、遡ると、1968年の教団機構改正に遡る。つまりその時の機構改正の目的の一つは、各教区への権力の移譲であった。従って、各教区に特色が出てくるのは当然の帰結である。それは教団全体で考えるよりも、地域的視座を以て、より細やかにその地に仕えることを、そしてそのことを基軸とし、各教会の連携を可能とするためである。これは「教団は教区に仕え、教区は教会に仕える」と言われてきた。これは更に遡れば、トマス・アクィナスが「補完の原理」と呼んだ、教会という組織体の在り方にも通じる。

 つまりそこには、各教区の仕組み以前の、教団という合同教会を形成する、方針であり、思想であり、神学があるのであって、オリエンテーションの内容の二つ目は、このことについてであり、慣例として概ね教区総会議長の担当がこれである。

 伝えるべきことは、改めて上記の方針が現在も教団の方針であり、当教区もこれと軌を一にしているのみならず、更にそのことの意義はより増していると考えていること。しかし残念ながら、その方針に反対する人々も少なからずいるのであり、それ故に、教団も様々な問題の渦中にあることである。

 この度は目に留まった教区宣教基本方策の一部から語った。「青年や子どものことが語られると、しばしば、どうしたらそれらを集められるかという話になる。しかし、宣教基本方策には『青年及び子どもたちが直面している問題を共に担うことができる教会となることを目指していく』とあるように、その地に仕え生きようとする教会に教区は仕え、その教区に教団が仕えるような教団形成を願っている」と。違いは、自分のための対象としているか、人格を持った個人の隣人になろうとしているかである。

 語らなかったが、その二日前の、上記方針とは全く逆行した判決が思い出された。辺野古埋立を巡って沖縄県知事が訴えた裁判での最高裁判決である。琉球新報の見出しは「2000年施行の地方分権一括法による地方分権改革の意義は失われてしまったのか」である。

 この世にある、教会の在り方の意義がここにもあるということである。

 と同時に、召天会員のことを思った。対象化しないで、その生に関わるならば、何も失われてなどいないのだと//

閲覧数:14回0件のコメント

最新記事

すべて表示

牧師だより ─ No. 296

11月6日(水) 上関原発用地埋立禁止住民訴訟の第一審の判決を、山口地裁から言い渡された。  裁判長は判決主文だけを読み上げると、さっさと退廷した。違法な支出について、県庁は知事に返還請求をせよ、という当方からの請求を、判決は3つに分割し、2つを却下、1つを棄却とした。却下...

牧師だより ─ No. 295

10月29日(火)〜10月31日(木) 第43回日本基督教団総会が東京の池袋で開催された。結論から記すと、想定していたとおり殆ど進歩はなかった。しかし、「殆ど」なのであって、僅かではあるが進歩したのだと思う。  しかし「殆ど」の人は、総会が現した嘆かわしい「殆ど」の部分に目...

牧師だより ─ No. 294

2024年10月20日 山口県知事   村岡嗣政 様 山口県議会議長 柳居俊学 様 山口県教育長  繁吉健志 様 防府市長    池田 豊 様 防府市議会議長 田中敏靖 様 防府市教育長  江山 稔 様 日本基督教団 防府教会 代表 浦上 光 日本基督教団 西中国教区...

Comments


bottom of page